大阪地方裁判所 昭和27年(ワ)3175号 判決
原告 大前市之丞
被告 山本政次郎
一、主 文
被告は、原告に対し、別紙目録<省略>(二)記載の建物を収去し同目録(一)記載の土地を明渡せ。
訴訟費用は、被告の負担とする。
此の判決は、原告が金三万円の担保を供するときは仮に執行することができる。
二、事 実
原告訴訟代理人は、主文第一、二項同旨の判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求め、其の請求の原因として「原告は、昭和二十七年七月二十五日別紙目録(一)記載の土地(以下本件土地と称す)をその所有者訴外平岡利雄から代金八万円で買受け所有権を取得し、同年八月五日その所有権移転登記手続を経由した。しかるに、同年七月下旬頃被告は、原告の承諾なく本件土地の周囲に板塀を建設した上、その内部に別紙目録(二)記載のバラツク(以下本件家屋と称す)を築造し之を使用するに至つた。そこで、原告は、被告に対し、本件土地に対する所有権に基き本件家屋を収去して本件土地の明渡を求める。」と陳述した。<立証省略>
被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として、「原告の主張事実中、被告が、昭和二十七年七月下旬頃原告の承諾なく本件土地の周囲に板塀を建設し、内部に本件家屋を築造し、之を使用していることは之を認めるが、原告が、その主張の日時に本件土地をその主張の如く買受け所有権を取得したことは不知である。本件土地及び地下には、戦前木造瓦葺地下一階附三階建建坪八坪六合四勺二階坪八坪四合二勺、三階八坪四合二勺、地下七坪四合の建物が存在し、被告は、右建物を昭和元年六月頃から当時の所有者訴外上田こまから賃料一カ年金六十円で賃借して居住し、昭和十三年十月から右建物は、訴外村岡嘉蔵の所有となり、被告は、引続き之を賃借し、敷金五百円を差入れ、賃料一カ月金六十円宛支払つて来た。しかるところ、今次大戦中地下室の利用度大となり、被告は隣組長をして居た関係上隣組員の植村清次、野村数馬、喜多伊三郎、友人拝郷建三等の衣類、長持其の他約トラツクで三台分相当を保管して来た。しかるに、昭和二十年六月七日空襲により、右建物の地上部分は全焼したが、地下一階は全然損傷なく、従つて、保管中の衣類其の他は完全に助つたのである。特に植村清次は、当時出征中の為昭和二十二年四月頃迄本件地下室に於いて箪笥等を其の侭保管して来た。被告は、空襲罹災後も本件地下一階に於いて居住し、被告の営業である大阪天満卸売市場青果部で各地の農作物の卸売をし売残り品を本件地下室に持帰つて保管したりして使用し、余暇を見ては、賃貸人村岡嘉蔵の行方を捜したが、その所在が判明しない為賃料の支払ができなかつた。(尚賃料は、取立払であるから、賃借人たる被告に遅滞の責はない。)被告が居住して来た本件地下一階は、厚さ七、八寸の鉄骨コンクリート造で周囲と天井及び床を構成し南東隅に入口があり、これよりコンクリートの階段で地下に至り西側に光線を取入れる為の窓があり、北側に空気抜が存し、人の住居又は営業などに供することができるのみならず、その堅固な点では木造建物の比でなく独立して取扱れるものである。されば、被告の有する賃借権は、家屋の地上部分に付き消滅したとは云え、地下「一階に付いては依然として存続して居り、敷金五百円も依然賃貸人に預けた侭今日に至つている。従つて、右建物に対する賃借権が存続している以上建物を使用する反射的効果として、当然本件土地を使用し得るものであるから、被告は、本件土地の明渡義務はない」と陳述した。<立証省略>
三、理 由
成立に争いのない甲第一号証、証人平岡利雄の証言に依り真正に成立したと認め得る甲第二号証、証人平岡利雄の証言及び原告本人尋問の結果を綜合すると、本件土地は、以前訴外村岡嘉蔵の所有であつたが、昭和二十年夏頃訴外平岡利雄は、同人から本件土地を買受け所有して居り、原告は、昭和二十七年七月二十五日本件土地を平岡利雄から代金八万円で買受け所有権を取得し、同年八月五日その所有権取得登記手続を経由したことを認めることができる。被告が同年七月下旬頃原告の承諾を得ず本件土地の周囲に板塀を建設した上、その内部に本件家屋を築造し之を使用して居ることは、当事者間に争いがない。成立に争いのない乙第三、四号証、証人植村清次、同山本与三郎、同川本栄一の各証言及び被告本人尋問の結果に依ると、本件土地上には、元被告主張の如き地下一階地上木造三階建の家屋が存在し、訴外上田こまが之を元所有して居り、被告は昭和元年頃から之を上田こまから賃料一カ年六十円で賃借して居住し、その経営する青果物卸売業の商品である青果物等を地下室に貯蔵して営業を為して来たところ、昭和十三年十月頃訴外村岡嘉蔵が右家屋を買受けたので、引続き同人から賃借して居住して来たこと、昭和二十年六月七日の空襲に依り地下室を除く地上の木造建物の部分は全焼したが、地下室はその内に入れて置いた被告や訴外植村清次外数名の箪笥長持衣類その他のものに何等の異状なく、原形のまま残存したこと、被告は、右罹災後も、右地下室に仮設の寝台を置き夜のみ寝泊りして朝は地下室の入口に鉄板を置き土砂をその上にかけて青果市場に行き、営業をして居たこと、被告は罹災後本件土地の所有者の住所を捜していたが、遂に発見することができなかつたことを夫々認めることができる。
右証定に反する証人平岡利雄、同松月安平の各証言は、前掲の証拠に徴し採用しない。被告は、右の如く前記家屋はその地上部分は空襲に因り全焼したが、地下室は何等の損傷なく残存し、該地下室は、鉄筋コンクリート造であり、独立した不動産として取扱れるものであるから、焼け残つた地下室の部分に対する賃借権を有するから、その反射的効果として、本件土地を使用する権利があると主張するので、此の点につき判断することとする。前掲乙第三号証及び検証の結果に依ると、右地下室は、鉄筋コンクリート造で天井迄の高さ十尺余東西十尺余南北約二十七尺位の略矩形で、南東隅に東西七尺南北四尺位の穴がありその東隅に三尺位の急なコンクリートの階段があり出入することができ、床はコンクリートのままで板敷なく、内部には、居住に必要な何等の設備なく、西北隅に約三尺四方の穴があり西側略中央に明り取窓、西北隅に空気抜窓のある構造を為して居り、空襲に因る火災の際も被災した形跡がないこと右地下室を含む地上三階建家屋は、昭和二十年六月七日戦災に因り滅失した旨同年六月三十日家屋台帳に記載され、家屋台帳を閉鎖されたことを夫々認めることができる。
凡そ家屋が火災に因つて滅失したか否かは、その家屋の使用目的となつている主要なる部分が、滅失し、その使用目的を達することができぬ程度に達したか否かに依つて之を決定すべきである。本件について之を見るに、本件土地上に建築されていた木造瓦茸地下一階附地上三階建家屋の地上の部分は戦災に因り全焼し、地下室のみ残存して居り、既に土地台帳から滅失として除去されて居ること、家屋の使用目的は住宅兼店舗であり、地下室は、単に物置又は商品の貯蔵所として使用されていたに過ぎないことは、既に認定したとおりであるから、右家屋は、その使用目的たる主要部分は戦災に因り滅失したものと認めるを相当とする。従つて、被告が、戦災後地下室に仮住居していたことは、前認定のとおりであるが、それにも拘らず、被告と賃貸人村岡嘉蔵間の右家屋に対する賃貸借契約は、昭和二十年六月七日右家屋の戦災に因る焼失と同時に目的物の消滅に因り終了したものと謂うべきである。そうすると、被告が本件土地上にあつた家屋の一部に賃借権を有する旨の主張は採用できない。
その後被告が本件土地の所有者の住所を捜したが、判明しなかつたことは、既に認定したとおりであるし、法定の期間内に罹災都市借地借家臨時処理法第二条の規定に依る賃借の申出を為した旨の主張立証がないから、被告は、前記家屋の滅失後は、本件土地を占有する権原を有しないものと謂うべきである。そうすると、被告は、本件土地の所有者たる原告に対抗し得る権原に基かず、本件土地上に本件家屋を建築して所有し、本件土地を占有することとなるから、原告に対し、本件家屋を収去して、本件土地を明渡さなければならない。以上の理由に依り、原告の本件請求を正当として認容し、民事訴訟法第八十九条、第百九十六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 岡野幸之助)